「マダム・バタフライ(蝶々夫人)」は1898年、アメリカ人の原作者ジョン・ルーサー・ロングによって書かれた小説です。1890年代初頭に長崎外国人居留地の東山手に住んでいた姉サラ・ジェニー・コレル(鎮西学院の校長夫人)から聞いた長崎の話をもとに書かれたものです。
オペラ「マダム・バタフライ」は、この小説をもとに、世界的に有名なイタリア人作曲家ジャコモ・プッチーニが作った不朽の名作です。
グラバー園には、世界的なオペラ歌手として名声を馳せた三浦環の像やプッチーニの像が建立されており、「マダム・バタフライ」ゆかりの地として知られています。
1973年には世紀のプリマドンナ、マリア・カラスも来園して記念植樹を行っており、そのオリーブの木は現在、旧自由亭前にあります。
そして、2004年はイタリア・ミラノスカラ座での初演から100年目の記念の年にあたり、グラバー園では開園30周年記念事業として、オペラ歌手喜波貞子の遺品60数点が旧リンガー住宅で展示されています。喜波貞子の名前は日本ではあまり知られていませんが、長崎の女性山口きわを祖母にもち、横浜に生まれ、17歳で単身ミラノに渡り、戦前のヨーロッパにオペラ「マダム・バタフライ」で一世を風靡しました。日本への帰国を夢見ながら遂に実現することなく、フランスのニースで80年の生涯に幕を閉じました。このたび、関係者の方々のご努力により、遺品が日本に里帰りして、グラバー園に寄贈されたので記念展示することになりました。
港から吹く風が心地よい南山手の高台にあるグラバー園。夕暮れのロマンティックなシーンも、長崎の街の灯りが織りなす美しい夜景も・・・。エキゾチックでドラマティックなグラバー園をパーティー・結婚式など、多彩なイベントでご利用になれます。
□■ グラバー夫人ツル ■□
グラバーの内妻であったツルは、歌劇マダム・バタフライのモデルと云われている。というのも、ツルは接客の折りに蝶の紋の着物を身に着け、外国人たちから”お蝶さん”と呼ばれていたという。ツルは姓を淡路屋といい、1851年(嘉永4)大阪で生まれたと考えられいる。1866年(慶応2)頃にグラバーに引き合わされたらしく1876年(明治9)にはグラバーとの間に女の子(ハナ)をもうけている。ツルは、1899年(明治32)3月23日、東京の自邸で死去、胃癌であったと伝えられている。遺骨は長崎へと運ばれ太平寺(浪の平町)の墓地に埋葬された。そして1911年(明治44)グラバーが亡くなった時、ツルの遺骨の一部が坂本国際墓地のグラバーの墓に分骨された。
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三浦環像

ジャコモ・プッチーニ像

旧自由亭前のオリーブ |