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旧オルト住宅外観

オルト商会を設立し、製茶業を営んでいたウィリアム・ジョン・オルトの旧邸。1972年(昭和47年)5月15日、主屋・附属屋・倉庫が国の重要文化財に指定。噴水1基が重要文化財の附(つけたり)指定となっている。

指定:国指定重要文化財(昭和47年5月15日)
所在地及び所有者:長崎市南山手14番地 長崎市 (現在地、南山手町8-1)
建築年:1865年(慶応元年)
構造形式:木骨石造、平屋建、寄棟造桟瓦葺、正面車寄せ有り、噴水一基

 この家にはイギリス人ウィリアム・ジョン・オルト(William J. Alt 1840~1908)が1865(慶応元年)~1868(明治元年)の3年間住んでいました。石造円柱が列ぶベランダの中央に妻切屋根のポーチがあり軒高の堂々たる偉容を誇る幕末明治洋風建築の中でも出色の建築です。イギリス人の設計で日本人小山秀之進が施工したといわれています。オルトは1859年(安政6年)に来日、貿易商として製茶業を主に実業家として活躍しました。1861年(文久元年)、彼は居留地自治会の初代役員に選ばれ、同年6月には居留地商工会議所で最初の議長となりました。妻工リザべス(1847-1923)と二人の娘との四人家族で、明治元年までの3年間をこの家で過こしました。その後大阪で1年半、横浜に2年間滞在しています。
 その後、この邸宅はメソジスト派の活水女学校の校舎や米国領事館として使われ、1903年(明治26年)からリンガー家の所有となりました。フレデリック・リンガーの長男一家が太平洋戦争勃発まで住んでいましたので、リンガー(兄)邸ともいわれています。この由緒ある邸宅は1943年(昭和18年)に川南工業に売却され、1970年(昭和45年)に長崎市が買い取りました。
ウィリアム・ジョン・オルト
ウィリアム・オルト (William J. Alt, 1840-1908)
工リザべス
オルト夫人のエリザベス。17歳の時に結婚し、来日
オルト住宅噴水
オルト邸前、建設当初からある噴水(昭和10年頃、エリザベス・ニュートン氏提供)
ウィリアム・オルト 1840~1908
緑茶貿易を通じて我が国のお茶を世界に広める
ウィリアム・オルト  イングランド出身。開国とともに、いち早く長崎にわたりオルト商会を設立。長崎の大浦慶と提携して、九州一円から茶を買い求め輸出業を行いました。製茶業で巨額の利益を得た彼が1865年に建てたオルト邸は本格的洋風建築ですが、これを建築したのは大浦天主堂も手掛けた小山秀之進。「長崎は本当に美しいところで、これ以上美しい所を私は知らない」彼の妻エリザベスは、後の回想録に長崎の印象をこう書き残しています。
オルトのパートナー大浦慶 オルトが製茶・販売の事業で手を結んだ大浦慶は、長崎屈指の油問屋に生まれましたが16歳の時に大火事に見舞われて家が傾いてしまいました。しかし、25歳の時に茶の貿易をはじめ見事に家を再興させました。彼女は長崎三大女傑の一人として知られています。
 
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