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旧ウォーカー住宅 FORMER WALKER HOUSE

ウォーカー商会を設立したロバート・ネール・ウォーカーJrの旧邸。4つの部屋がある。もとは大浦天主堂のそばに建てられていた。

所在地及び所有者:長崎市南山手町28番乙(現在の南山手町6-3) 長崎市 
建築年:1883~1902(明治16~35年)
構造形式:木造瓦葺平屋建 112.25㎡

この家の旧主は、イギリス出身の船長ロバート・N・ウォーカー(Robert Neill Walker 1851~1941)の次男、ロバート・ウォーカー・ジュニア(Robert Walker Jr. 1882~1958)です。彼は、明治中期に建てられたと考えられるこの建物を1915年(大正4年)に購入し、1958年(昭和32年)に亡くなるまで居住していました。その後、彼の妻シゲコ・メーベルが母屋の一部を市に寄贈し、1974年(昭和49年)にグラバー園に移築されました。
 ロバート・N・ウォーカーの兄、ウィルソン(Wilson Walker 1845~1914)は1868年(明治元年)に来日し、グラバー商会(後ホーム・リンガー商会)で船長を務めました。1874年(明治7年)に郵便汽船三菱の監督船長に抜擢され、翌年の1875年(明治8年)には、日本初の国際定期航路である上海航路の船長を務めました。その後日本郵船会社に勤務した後、横浜でトーマス・B・グラバーと共にジャパン・ブルワリ・カンパニー(麒麟麦酒㈱の前身)を設立。筆頭株主であるとともに、同社の支配人も勤めています。1894年(明治27年)、家族共々長崎へ移り住み、南山手10番地でクリフ・ハウス・ホテルの経営を行いました。
 ロバート・N・ウォーカーは、1874年(明治7年)に来日。1876年(明治9年)に日本政府より甲種船長の免許を受け、三菱系列の会社と日本郵船に勤務しました。退社後、一旦イギリスに帰国しましたが、1895年(明治28年)再び来日。1898年(明治31年)に「R. N. ウォーカー商会」を設立し、海運業を中心とした貿易事業を幅広く展開していきました。また、1904年(明治37年)には、「バンザイ清涼飲料工場」を開業、ジンジャーエールなどの大量生産に成功しました。1908年(明治41年)に次男であり、この家の旧主でもあるロバート・ジュニアに会社を譲り、カナダに移住しました。
ロバート・ウォーカー
ロバート・ウォーカー(Robert N. Walker, 1851-1941)
ロバート・ウォーカー・ジュニア
ロバート・ウォーカー・ジュニア(Robert Walker Jr. 1882-1958)
高千穂丸
ロバート・ウォーカーが船長を務めた高千穂丸(ウォーカー・アルバート氏提供)
ロバート・ウォーカーとその家族
ロバート・ウォーカーとその家族。後列左から2番めがロバート。後列右端がロバート・ジュニア
ロバート・ネール・ウォーカー
我が国の海運事業の近代化と清涼飲料のパイオニア
ロバート・ネール・ウォーカー  イングランド出身。1898年に長崎でウォーカー商会を設立。日本の海運業に大きな業績を残し、長崎外国人居留地の実業界における中心的人物として活躍しました。 たいへんな親日家で、自ら設立した清涼飲料水メーカーの商品にバンザイサイダー、バンザイレモネードとネーミングを付けたほど。晩年はカナダへ移住し、息子のウォーカー・ジュニアに事業を譲与しました。
キリンビールの前身を設立 ロバート・ネール・ウォーカーの兄ウィルソン・ウォーカーは、グラバーとともに「ジャパン・ブルワリ・カンパニー」を創立。これが現在の麒麟麦酒株式会社の前身となりました。
 
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